富山マラソン走り切りました(^。^)y-.。

令和7年11月

令和7年11月2日に行われた第10回富山マラソンに参加しました。私はそもそもマラソンには全く縁はなかったのですが、第1回目の富山マラソン(2015年)が開催されると聞いた時、コースが当社本社の前を通ること、また長年において当社が施工させて頂いた道路が多く含まれていたこと、そしてちょうど私自身60歳還暦の節目であったこと、などがあり、今から思えば無謀な挑戦ではありましたが後先考えることもなしに参加したい、走りたい気持ちでいっぱいになり申し込みをした次第です。

それから11年。私も10回フル参加した、といいたいところですが一回だけ、どうしても欠席できない会合と重なり(2017年)今回は9回目のフルマラソン参加となりました。(2020年はコロナで非開催)

今年も春ごろから休日の朝など少しずつ走り始め、体にマラソンを思い出させるのですが、なかなか思うようにはいかず、また夏は暑すぎて走れず、体力の衰えを感じつつ当日を迎えました。

雨を覚悟していたのですがそこまでの降りではなかったことに安堵しながら、友人知人とお互いの健闘を祈るエールを交わしスタ-トを切りました。

家人からは、会社の前まで何とか頑張って走ることができれば十分だからコッソリ帰れば…と言われていたのですが、そんなことはできるかい!とますます力も湧いて出て野村の通りを走り抜けました。

問題は新湊大橋からです。坂道はどうしても走り続けることはできずノロノロと亀より遅い歩みとなり頭の中は今までの大会のことが思い出されます。晴天で立山連峰が輝くばかりに美しく県外から来て下さった走者の方々に、目に焼き付けて帰ってほしいと思ったこと、何度も食べている白エビ天むすやマスずしがこんなにも美味しかったか、と再確認したことなどが頭の中でぐるぐると渦巻きます。

最後の数キロは景色の変化もそうなく走っても走っても先が見えず本当にゴ-ルに近づいているのかも分からなくなってきて、足は痛むし息は切れるし、で半分意識もない感じでただただ惰性で一歩ずつ進んでいる時、沿道の応援の方々の「お父さん、がんばって―」とか「もうすこしや、ガンバられ―」の声援に本当に力をもらいました。本当に力が湧いてくるのです。また声援ではないのですが近くで一緒に走っている(走ることになった)名前も知らない方々とは一言も声を掛け合うわけでもないのですが、お互いに、ここまで一緒に来たからには自分だけ遅れるわけにはいかない、最後まで走りぬいて一緒にゴールしようという心の会話があるのです。

そして最後の最後には、鼻先の人参作戦でとにかく家人の鶏のから揚げを肴に冷たいビ-ルを飲むことだけで頭をいっぱいにしながら、やっとの思いでなんとか今年もゴ-ルすることができました。

大会から数日過ぎ改めて思うことは、自己流で満足な練習もせずフルマラソンをとにかく時間内に9回、それも61歳から走ることができたのは健康な身体に恵まれたことはもちろんですが、見ず知らずの方々をはじめ、友人知人、ご近所さん、会社の社員、そして家族の応援があったからこそとたいへん嬉しく有難い気持ちになります。

もし一人であのコースを走れと言われても私には難しいでしょう。

周りの方々に助けられて不可能が可能になるのだと強く思います。

さて、私も70歳。来年のことは決めることはできません。

家族からは励ましも多かったですが身体のことを心配しての反対も大きかったです。

完走断念組のバスに乗る初体験もしてみれば?と最後まで言われましたし

娘の結婚式の時には花嫁から父へのお願いで、もうマラソンはしないでください。とも言われました。

その願いをず-っと破り続けています。

体力の衰えは私自身充分感じています。しばらく考えたいと思います。

 

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